尼崎市では広済寺、近松の墓、近松記念館、近松公園を中心とした周辺を『近松の里』と名付け、歴史と文化にふれあうゾーンとして、公園の改修や周辺道路の修景整備をしています。世界に誇る劇作家・近松門左衛門の墓所(国指定史跡)、広済寺のあたりは古くから開けたところです。古墳や由緒ある神社があり、里の風情が感じられます。近松記念館、和風庭園、近松座像、モニュメントなど近松気分がいっぱいです。 近松の命日前後の日曜日に行われる『近松祭』では、テレビで度々見られる人間国宝・吉田文雀さんの文楽人形による墓前祭は、一度は足を運んで頂きたい行事の一つです。また、 市内には近松の名前のついた日本酒、海苔、煎餅など、様々な商品を扱うお店が点在しているのでお店巡りしても楽しめます。




近松公園内にある記念館は、近松の偉業をたたえると共に広済寺に残る殆どの未公開であった遺品を広く後生に伝え、芸術文化の振興、ひいては近松文化のメッカとして建設された全国で初めての施設です。 記念館は近松遺品約六十点の展示ホールをはじめ、講演会が行われる二百人収容の舞台ホールなど、近松の眠る広済寺と共に、まさに近松の殿堂ともいえます。
広々とした日本庭園では散歩を楽しむ方や囲碁を楽しむ方の姿が見られます。


高さ48センチほどの緑泥片岩の自然石の墓石。(国指定史跡)
尼崎市久々知の広済寺では数々の作品を執筆したと伝えられています。正徳4年、日昌上人によって広済寺が再興されるにあたり、近松門左衛門が自らその建立本願人となり大きく寄与されました。享保元年9月9日、京都に暮らしていた母が亡くなり、その時近松は悲嘆のあまり筆をとることも構想を練ることもできないほど茫漠とした日々を送っていたといいます。しかし母の七七日忌が終わると、その菩提を広済寺で行い、法要をとり行っています。さらに近松の母が逝去した翌年の享保2年9月、開山百講中の列名縁起ができると、御経十部を寄進するとともに知己に対する誘引の文を書き送っている。この文中「私も幸い、くくちと申尼崎近所へ参度」と書いているのは、これを機会に久々知へ久々知へと歩みを運んだものと思われます。
いま伝えられるところでは、本堂裏に六畳二間、奥座敷四畳半の『近松部屋』と呼ばれる部屋がかつては設けられており、七十二歳でこの世を去るまで近松はこの部屋で幾多の名作を書き続けたとされています。

広済寺は隣接していますので、行き方は同じです
●JR尼崎駅北側から 尼崎市バス11『阪急園田』行き、または12『阪急塚口行き』
●JR塚口駅東側から 尼崎市バス12『阪神杭瀬』行き、または南東へ徒歩15分
●阪急塚口駅南側から 尼崎市バス12 『阪神杭瀬』行き
●阪急園田駅南側から  尼崎市バス11 『阪神尼崎』行き
マップ


 


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